『風のまつり』
目黒次は『風のまつり』。小説現代に連載して、2003年11月に講談社から本になって、2007年6月に講談社文庫と。困ったなあこれには。本当に何も語ることがないよ(笑)。一応、「自著を語る」から作者の弁を引用しておこう。
ぼくの書く小説としては比較的珍しい普通小説である。私小説でもなくSFを含んだ超常小説でもないという意味だ。ミステリーでもなく、しいていえばゆるやかな恋愛小説ということになるだろうか。書こうと思った動機はタイトルだった。『風のまつり』というタイトルが先に頭に浮かび、その風景が見えるような気がした。舞台は一つの島で、そこに主人公が行くところから話が始まり、一か月ほど滞在して帰るところで話は終わる。モデルとなった島は、わが人生でいちばん行っている八丈島で、作家になった初期の頃、実際にこの島の大きなホテルで10日間ほどカンヅメになって小説を書いていたことがある。そのとき体験したことがベースになっている。
というんだけどさ、まあたしかに私小説でもなくSFでもないんだけど、でも恋愛小説でもないよ。飲み屋の若いママとの恋模様があればともかく、それもないんだからね。だから本当の普通小説。何もおきない。ホテル売却の査定人に間違われたり、選挙の対立候補陣営の人間に間違われたり、ということはあるけど、それだけ(笑)。
椎名(笑)。
目黒「自著を語る」で作者が言っているように、島に主人公が行くところから話が始まり、一か月ほど滞在して帰るところで話は終わる──本当にそれだけなんだよ(笑)。問題は、あとは何もないこと。主人公の職業はカメラマンに設定しているから、一応小説を書こうとは思ったわけだ?
椎名そうだな。どうせならもっと本格的に恋愛小説にすればよかったな。飲み屋の若いママとの濡れ場を入りたりして。
目黒濡れ場はなくてもいいけど、そういう恋愛小説にする手はあったね。本当に困ったなあこれは。
椎名おれだって本にしたくなかったんだよこれは。
目黒えっ、どういうこと?
椎名これ、書いたのは小説現代だけど、ずいぶん長い間、本にしなかった記憶がある。
目黒ちょっと待って。あっ、本当だ。1989年4月号から1990年5月までの連載だ。講談社から本になったのが2003年11月だから、連載が終わってから13年半がたっている。
椎名な、そうだろ。13年間も止めてたんだ。一応オレにも良識があるんだよ(笑)。
目黒だったら最後までこういうのは出しちゃだめだって(笑)。
椎名講談社からせっつかれちゃってなあ。
目黒よくあるんだよ。一度雑誌とか新聞に書いた小説の出来が悪いとずっと寝かせて、そのままお蔵入りするってことは。作家が亡くなったあとに遺族が出しちゃうケースもあるけど。
椎名書き直せばよかったかね。
目黒一度出したものはだめだよ。
椎名いや違うよ。出す前に書き直せばよかったか、ということ。
目黒ちょうどいい例があるんだ。2013年の5月に出た東野圭吾さんの『夢幻花』という長編は、その9年前に連載が終わったもので、かなり手を入れてから出版したらしい。そのときに思ったんだけど、どこをどう直したのか知りたいだろ? だから前のバージョンをたとえば電子書籍で出してくれないかって。そうすると完成版との比較が出来る。作家志望者にも編集者にも我々のような書評家にも、すごく参考になる。500円ならおれ、買うよ。普通の作家ならそんな恥をかくことなんてしたくないだろうけど、天下の東野圭吾なら、その文化的な意義と価値を論じて口説けばさ、なんとか了承くれないかなって考えたことがある。
椎名で、おれの場合は?
目黒これはそんなふうに書き直すより、最初から新しい物語を書いたほうが早いよ。
椎名そうか。
目黒13年間も本にしなかったのは椎名の誠意だろうけど、最終的に本にしちゃうのは情に流されてしまうというあなたの欠点だと思う。
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