『かえっていく場所』

目黒ええと、『かえっていく場所』にいきます。「すばる」の2001年1月号から2002年8月号まで連載して、2003年4月に集英社から単行本が出て、2006年4月に集英社文庫と。まず、椎名が「自著を語る」でこう語っている。

集英社の「すばる」に連載していた小説が『春画』という、ややおどろおどろしい一冊になった。そのあと少し気分が上昇し、かなり明るめの従来の私小説路線に入っていった短編集である。

椎名はこう語っているんだけど、実際は「かなり明るめの従来の私小説路線」とはかなり違うよね。たとえば「夏になって間もなく妻は急に弱ってしまった。最初はなんだかわからなかったのだが、どうやら更年期障害がでてきたらしい、という診断だった」と「妻」の精神が不安定で、それがこの連作集の背後に独特のトーンとして流れている。暗いというわけではないけれど、もっと複雑なんだ。少なくても「かなり明るめの従来の私小説路線」ではない。続けていい?

椎名いいよ(笑)。

目黒「私」が海外旅行で家をあけることになったとき、「ハハ」を一人にするのが心配で、アメリカにいる「娘」が一時帰国しようかと考えたほどだからね。もっともこの物語の途中で「妻」はチベットに出かけて元気になるんだけど、けっして野放図に明るい話ではない。たとえばね、これにはびっくりしたんだけど、「私が尊敬しているある年上の旅好きの友人が突然壊れてしまった。それは何の前触れもない出来事だった」というくだりがある。ちょっと引用しよう。

その年の夏、数人で集まった川原のキャンプで彼はいままで見たこともないような泥酔状態になっていた。かなり酒に強い彼が焚火の前からわずか十メートル程度しか離れていない自分のテントまで自分で歩いていけないのを、私は呆然と眺めていた。

文庫解説を書いている吉田伸子が「椎名さんの読者なら、すぐに名前が浮かぶはずだ」と書いているけど、小説では名前が出ていないのでここでも出さずに話を進めますが、これはその後直ったんだよね。

椎名アルコール中毒の治療のために入院してね。もう直ったよ。

目黒どうしてそうなっちゃったの? 書いちゃまずい話なら書かないけど。

椎名いや、いいんじゃないかなあ。そのとき失恋したらしいんだ。

目黒えっ、すごいなあそれ。だってそのころ、もう六十歳は過ぎてたよね。

椎名もちろん。

目黒六十歳を過ぎてるのに、壊れるほど恋をするってすごいね。つまりね、カメラマンの妻が死んだり、岡田昇が遭難したり、三島が会社を辞めて店を開いたり、「私」の周囲が激しく動き始めている。みんなが人生の曲がり角にきている、と言えばいいか。「妻」もそうだし、年上の友人が「アル中」になったり、そうやってみんなが少しずつ弱ってきて、それでも人生は続く──という真実がここにあるような気がする。すごくいいよ。おそらく何も意識することなく書いたんだろうけど。

椎名何も考えてないな(笑)。

目黒あのね、『岳物語』はたしかに傑作だったかもしれないけど、主人公も若く、子供も幼く、だからそのぶんだけ希望に満ちた話だった。でもそれから二十年以上もたつと、子供たちは大人になっていて外国にいるし、「私」も昔の活力はすでにないんだ。でも生活は続いていくんだよね。こっちのほうがなんだか本物という感じがする。

椎名何の話だよ?

目黒いや、だからさ、『岳物語』をいま読むと、同じような若い世代はいいだろうけど、この年になると、希望があっていいですね(笑)という感じがする。そんなふうに家族が密接に繋がったまま生きていけないだろうって思っちゃう。それは一過性のものだと。でも、この小説の中の家庭は本物だよね。椎名はエッセイとかでよく、うちの家族はばらばらになっている、と書いていて、たしかに形態としてはばらばらだけど、でも実質は全然バラバラになってない。たとえば、この小説の中で「私」の家族は実に頻繁に会うんだ。小樽の家にみんなでいくくだりは象徴的だよ。子供が幼いときなら家族旅行もわかるけど、みんな大人になって、しかも子供たちは外国に暮らしているのに、みんなで小樽に行くんだぜ。普通こんなに仲良くないよ。劇的なことが一つもないままばらばらになっていくのが普通で、この「私」の家庭はある意味異常だよ(笑)。外国にいる娘から電話がくると妻の声に艶が生まれて元気になるくだりが数カ所あるけど、離れ離れに暮らしていても、もっと深いところで繋がっている関係がここにあるような気がする。とてもいいシーンだと思う。『岳物語』から始まる私小説路線の作品が全部で何冊あるのかわからないけど、これがいちばんいい。私が選ぶならこれがベスト1。

椎名本当かよ。

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