『ニューヨークからきた猫たち』
目黒それでは『ニューヨークからきた猫たち』です。これは短編小説をおさめた作品集で、小説トリッパー6編、小説現代2編、すばる2編と、発表誌はばらばらで、2002年11月に朝日新聞社から出て、2006年9月に朝日文庫と。問題は、そういうふうに発表誌がばらばらであることだね。具体的にいうと、すばるに書いた2編、「屋上」と「遡行」がここに入ると浮いているんだ。
椎名そうかあ。
目黒やっぱり純文学誌に書くときに椎名の姿勢が幾分変わるんだろうね。この2編はちょっと文学的というか、正直にいうとよくわからない短編になっている(笑)。
椎名どんな話を書いたのかよく覚えていないなあ。
目黒ただね、個別に見ていくと、いい短編もある。たとえば冒頭に収められている「ふゆのかぜ」。母親が死んだときの話だけど、これはすごくいいね。子供のころの回想がここに出てきて、これがいいんだ。花嫁さんが馬車に揺られてくるのを見て、家の中にかけこんで、部屋の真ん中にひっくりかえって「あの花嫁さんが欲しい」ってじたばた暴れるの(笑)。
椎名六畳間の襖を全部閉めて、「入っちゃダメ!」と言うんだよ(笑)。
目黒いい光景だよね。これ、初めて書いたでしょ。
椎名忘れてたんだなこのときまで。
目黒表題作は長女がアメリカから一時帰国してくる話で、これは私小説としてよく出来ている。ただね、あとはどうかなあ。たとえば「隣の席の冒険王」という短編はリアリティがないよね。これは創作?
椎名どんな話だっけ?
目黒新幹線で隣に座った女が「私は冒険王なんです」って話しかけてくるやつ。
椎名あながち創作でもない。
目黒実話そのものではなくてもモデルらしき人物がいたということか。あのね、少し変わった女性に追いかけられる話を椎名は幾つか書いているけど、それで成功しているパターンと失敗しているパターンがある。で、成功しているものは、その女性の不安定さが語り手の精神の不安定さを浮き彫りにしているやつだよね。具体的に言うと、その女性から逃げてきて、部屋にはいって窓の外を見ると樹が風に激しく揺れていると。そういうシーンが過去の作品であったと思うけど、そのとき窓の外で揺れている樹は、椎名の心そのものなんだと思う。だから、読者の気持ちも揺さぶられて、いまの自分の足元がぐらついてくる。本当は我々の日常もこういうふうに不安定なんじゃないかって。ところが中にはこの短編のように、相手の女性の不安定さだけを描いて、語り手の心理を描かないことがある。そうするとなんだか絵空事のような気がしてきてリアリティを感じない──そういうことなんじゃないかって気がする。
椎名ふーん。
目黒あとは「元旦の宴」もよくない。小学校の同窓会に行く話で、ここに糸代という女性が出てくるんだけど、これは明らかに創作だと思う。
椎名あ、そうだな。
目黒ラストでみんなで海岸に行くんだけど、どうして糸代なんて創作人物を出したのかよくわからない。同級生たちだけで行けばいいんだよ。それでもどうってことのない話だけど、暗い海を見て、それで帰ってくるんでいいよ。ところが糸代を出して、そこに何かドラマを作ろうとしている作為、わざとらしさがあるんだ。
椎名締め切りに追われて書いたんだろうな。
目黒それを言っちゃいけない(笑)。「わたしのいる場所」はトリッパーに書いた短編で、これもどうということもない日常の話だけど、これはうまくまとめていると思う。
椎名覚えてないなあ。
目黒いいものから問題のある作品まで、全体として見ると、ばらつきのある作品集だというのが結論です。
椎名はい。
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