『飛ぶ男、噛む女』

目黒次は『飛ぶ男、噛む女』です。6編を収録した作品集で、「樹の泪」だけ文芸ポスト、あとの5編は小説新潮に発表したもので、2001年10月に新潮社から本になって、2004年11月に新潮文庫と。

椎名新潮文庫の解説を、深町眞理子さんが書いてくれたのは嬉しかったなあ。

目黒でもね、この表題作はないよ。その話の前に、この短編の語り手は、娘と息子が外国に住んでいて、チベット人が2年間居候していたり、チベットにいく妻を成田まで送りに行ったり、植村直己冒険賞の選考会に出たりするから、まだあるか、『中国の鳥人』という「私の原作を映画化した作品が」という一節もあったりするので、明らかに椎名自身だよね。ではこの作品集に収録されている短編がすべて椎名自身なのかというと、「すだま」という短編では、「私は自分の作った小さな広告会社の仕事にひた走ってきた」という一節があるから、椎名ではない。だからこの作品集は私小説のようでいて、私小説ではない。ただ表面的には私小説っぽい。このことを踏まえて言いたいんだけど、表題作の語り手が中国の旅の途中で出会う女性が「K」と表記されている。たとえば、

互いの領域を気遣いながらも私たちはやがてひとつの部屋で眠るようになった。絡み合って激昂すると、Kが〔噛む女〕であるということを私は知った。

という文章がある。ところが『春画』に収録された短編「風琴」のなかにも、Kが出てくるんだよ。そこを引くとこんな文章だ。

ベランダから下を眺めていると、数年前、初めてKが私の家にやってきた時のことを思い出す。Kは三十前後の痩せた女性で、なんだかいつも黒っぽい服を着ていた。顎がつんと尖っており、なんとなく目の周りが青く見えた。世間的にいったら美人というのだろうが、私には不気味で怖い顔としか反応のしようがなかった。

短編「飛ぶ男、噛む女」と、短編「風琴」は違う作品だから、Kと表記される女性がどちらにも出てきてもいいんだけど、この『飛ぶ男、噛む女』と『春画』は同じ年に刊行されているんだ。しかもこの年に出た椎名の小説は、この2冊の他に『海ちゃん、おはよう』だけ。あれはまったく傾向の異なる「明るい私小説」で、この『飛ぶ男、噛む女』と『春画』の2冊はどちらかといえば「暗い私小説」の雰囲気が共通する作品集。つまり、まぎらわしいんだ。明らかにこの2編に登場する「K」は別人なんだけど、何も同じ表記を採用することはないよね。

椎名そうか。こっちもKにしちゃったんだ。

目黒『飛ぶ男、噛む女』に収録されている短編「オングの第二島」にも「K」が登場するけど、これは短編「飛ぶ男、噛む女」と同一人物で、つまり作品集『飛ぶ男、噛む女』を読んでいるだけなら混乱しないけど、短編「風琴」のKは椎名が他のエッセイにもたしか書いたことのある人物だから印象が強いんだよ。だから他の作品を読んでいる読者は混乱してくる。しかしそれは技術的なことだから、まだいいんだ。

椎名他にもある?

目黒もう一つは、短編「飛ぶ男、噛む女」のラストがひどい。ネタばらしになるから詳しくは言えないけど、こういうオチをつけることで物語の奥行きをなくしている。これはないよね。

椎名うーん。

目黒いや、素晴らしい短編もあるんだ。そのいちばんは「ぐじ」。このラストは、深町眞理子さんが「最後の三行がとびあがるほど恐ろしい」と解説で書いているように、余韻たっぷりで素晴らしい。

椎名ほお。

目黒だから、素晴らしい短編「ぐじ」から、読むに耐えない短編「飛ぶ男、噛む女」まで、振り幅の広い作品集になっている、というのが正直な感想です。

椎名私もそう思います(笑)。

 

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