『黄金時代』
目黒次は『黄金時代』です。文学界に4回にわたって連載し、1998年5月に文春から本になって、2000年12月に文春文庫と。文庫の帯の惹句はなかなかいいよ。「いつも途方にくれていた」と大きくあって、その下に小さく、「殴り殴られ恋と血と。ろくでもなくてどうにも熱い青春彷徨。椎名誠待望の熱血純文学450枚」。ね、すごくいいよね。たしかに喧嘩のシーンは素晴らしい。問題はラストだね。
椎名ラスト?
目黒この長編小説は全体が「砂の章」「風の章」「草の章」「火の章」と四章にわかれていて、一人の青年の青春の日々が語られるんだけど、最後の章のちょうど真ん中あたりに、こんな文章がある。
二十歳になって二カ月をすぎたばかりだった。やるならこの夏の内までだろう、という思いがずっとあった。果して計画したとおりのことをやってみても、うまくコトがはこぶのかどうかはまったく見当がつかなかった。しかしおれの抱いている計画はもともとそういうものだった。行動してみて、考えていたようにいかなかったら諦めるしかないけれど、やってみないうちにしだいに忘れたような気分になっていくのはなんとしても嫌だった。
えっ、と思ったんだ。「やるならこの夏の内までだろう」って、いったい何のことなのか、瞬間的にはわからなかった。すぐに根津の家を探して訪ねていくから喧嘩の決着をつけることはわかるんだけど、それを直接的には描いてなかったので、すっかり根津との問題は片がついたと思ってた。でも、気持ちの決着はまだついてなかったんだと驚いたわけ。つまり物語の底を、根津への思い、こいつを殴らなければ前へ進めないと思う暗い心が流れていたんだね。それにびっくりしたのが一つ。で、それから20ページ後に喧嘩のシーンがあって、この語り手は勝つわけだよ。ちょっと長くなるけど、その文章も引いておこう。
遠くからやってくるバイクの灯のようなものが見えた。おれは歩いた。帰りの方向はわかっていた。片方の手で目を押さえてみた。おれの目はまだふたつとも、そこにあった。なんだかしきりに吐き気がしていた。緩やかな坂道を下り、神社の前にきたときに、おさえきれなくなって、少し吐いた。たいしたものは出てこなかった。まだ吐き気は収まらないので喉の中に指を入れた。しかし吐く物はそれっきりだった。ウイスキーのいやな臭いが鼻先をかすめ、おれはいま自分の口の中に突っ込んだ指から血が出ているのを知った。神社の前の電信柱のわずかな灯りでよく見たが、それは喉から出た血ではなく、明らかに自分の指から流れている血であった。ろくでもない喧嘩の、ろくでもないなり行きだった。吐いたのはこの数分間の緊張やウイスキーのせいなどではなく、体中にべったりまといついている自分への嫌悪のせいであるような気がした。
ここで終わればいいじゃん。譲っても、叔父さんが拾ってくる猫と部屋にいるくだりまでだよね。そこでストンと終わっていれば、すごく暗いまま幕を閉じることが出来たと思う。それでタイトルが「黄金時代」なんだ。いいじゃん。帯にある「いつも途方にくれていた」日々で、ろくでもない青春をまるごと描いた長編として強く印象に残る小説になったと思う。ところがさ、そのあとこの主人公は君枝に会いにいって告白して、なんとなく希望がみえてきたところで実際は終わるの。こんな希望はいらないと思う。
椎名そうか。
目黒だいたい、木田ツネ子と、白系ロシアの血が入っている二歳下の少女、この二人だけでいいよ。肉欲と精神、という二つを象徴する存在として描くのなら、この二人だけで十分だと思う。つまり君枝はこの物語に必要ない。このヒロインを登場させることで、少し、というか、かなりごちゃついている。たぶん君枝は一枝さんがモデルなんだろうけど、そういう現実の影響はばっさり切り捨てたほうがよかった。高校の助手になって宿直のときに蛇を見る挿話とか、これまで椎名のエッセイや他の短編などで読んできたことがここには結構まぎれこんでいるから、実体験を巧みにベースにしていることは想像できるんだけど、それがもちろん成功している側面もあるんだけど、この君枝は物語に邪魔だったと思う。ホント、もったいない。ラストを除けばなかなかいい青春小説だけにね。批判に終始して申し訳ないけど。
椎名いや、そういう回があってもいいよ。
目黒作者の言い分も聞きましょう。
椎名書く前に言って欲しかったなあ(笑)。
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