『本の雑誌血風録』

目黒それでは『本の雑誌血風録』です。週刊朝日に連載されて、1997年6月に朝日新聞社から本になって、2000年8月に朝日文庫、2002年2月に新潮文庫と。椎名があとがきで書いているけど、『哀愁の町に霧が降るのだ』『新橋烏森口青春篇』『銀座のカラス』に続く「仲間シリーズ」だね。『哀愁』が実名で、『新橋』と『銀座』は仮名、この『本の雑誌血風録』は実名と、必ずしも同じ方式では書かれていないけれど、椎名とその周辺の男たちの実録、ということではシリーズになっている。この書名は、目黒が1985年に書いた『本の雑誌風雲録』(2008年に新版)と対になっていると、椎名があとがきで書いている。

椎名風雲録と血風録か。

目黒中川右介『昭和45年11月25日』(幻冬社新書/2010年刊)という本があるんだよ。これは三島由紀夫が自決した日に人は何をしていたかをさまざまな書から引用した本で、着眼点がなかなか面白かった。小説とか日記とかエッセイとかにこの日が出てくるとそれを拾っていく。手間のかかる本だよね。

椎名それがどうかしたのか?

目黒その本のなかにこの『本の雑誌血風録』が出てくる。

椎名そうなのか。

目黒『本の雑誌血風録』の冒頭近くに、椎名が新橋の居酒屋「ねのひ」で、目黒考二と菊池仁に会うシーンがあるんだけど、そのくだりをちょっとだけ引くと、こんな感じ。

「まあ結局は耽美文学のひとつの破綻じゃないのかな」
 菊池仁がハリハリ漬けをかじりながらやや結論的にそう言った。
「いや、違うんじゃないですかねえ。ああいう死に方はむしろ完成かもしれないじゃないですか」
 目黒がこたえている。
「でも、三島の文学は正直いって自分にはいまはどうでもいいですね。菊池さんは相変わらず全然興味をもってないでしょうけれど、これからは断然SFですよ」

このくだりが『昭和45年11月25日』に引用されているんだ。驚いたなあ。これは椎名の創作だって、おれが文庫の解説に書いているのに、この人は解説を読んでないのかと思ったね。ちなみに、朝日文庫の解説で、事実と異なる点を列記すると書いておれは8点を指摘している。8点というのは大きなことだけで、細かなことは無数にあるんだけどね(笑)。その冒頭で、この三島をめぐる会話を、これは椎名の創作で、こんな会話をしたことはないと書いているんだよ。その解説を読めば、こんな間違いはしないだろうと思ったら、そうか、この人は新潮文庫版を読んだんだと気づいたわけ。おれの解説が載っているのは朝日文庫で、新潮文庫の解説は吉田伸子が書いているから、新潮文庫版にはこの「事実と異なる点」は列記されていない。

椎名なるほどな。

目黒その朝日文庫の解説でも書いたんだけど、事実と違ってもいいと思うんだ。『本の雑誌血風録』はかなり事実と違うところが多いんだけど、それでも誰かに迷惑をかけているならともかく、そうでないなら、いいと思う。でもこういうことがあると、やっぱりまずいのかなあっていう気がするね。あとね、もう一つ。

椎名何?

目黒完全な間違いがある。これだけは直して欲しい。

椎名どうでもいいことじゃないのか。

目黒いや、これはまずい。

椎名なんだよ。

目黒終わり間近なんだけど、目黒の様子がおかしくて、それがどうもチンチロリンという博打のせいだとわかるくだりなんだけど、そのチンチロリンのルールを説明するところで重大な誤りがある。

椎名なんだよ?

目黒いろいろルールが紹介されているんだけど、その中に親が4の目を出すと親の総取りというくだりがある。そんなバカなことはない。これは6の目の間違い。調べてみたら、朝日文庫も新潮文庫も間違ってきて、待てよと思って最初の朝日新聞社の単行本を見たら、そこからすでに間違っていた。ルールの引用はおそらく前後の文章から類推するかぎり、おれが書いた『戒厳令下のチンチロリン』(1982年情報センター出版局、1992年角川文庫/どちらも絶版)からの引用だと思うけど、それを資料として椎名に渡すときにゼンジが間違えたか、椎名が写し間違えたか、そのどちらかだね。それを朝日新聞社の校正担当者も、業界で有名な新潮社の校閲部も見事にスルーしてしまった。悲しいね、チンチロリンがいかにマイナーなギャンブルであるかということのこれは証左だからね。もし今後機会があるなら、これは直してほしい(笑)。

椎名いいじゃんか、そんなの(笑)。

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