『むはの哭く夜はおそろしい』
目黒ええと、『むはの哭く夜はおそろしい』です。1995年4月に本の雑誌社から出て、2004年11月に角川文庫と。問題はその文庫化のときに、『本などいらない草原ぐらし』と改題していることだね。この改題はないよ。もともとの単行本のタイトルもよくないけど(笑)。
椎名お前が発行人のころだろ?
目黒だから、反省しています(笑)。このタイトルはないよな(笑)。これじゃあ、何の本なのかさっぱりわからない。でも、改題はもっとひどい。だってね、この本におさめられたエッセイは本の話ばかりなんだよ。それを『本などいらない草原ぐらし』って何なのよ。これじゃあ、本に否定的なニュアンスだろ。逆だって。本は面白いって内容なんだから。
椎名そうか。
目黒この本はね、もともとは本の雑誌に連載したエッセイをまとめたもので、椎名がその月に読んださまざまな本の話が中心なんだよ。椎名好みのヘンな本や、自然関係の本、特に海関係の本がいっぱい出てくる。つまり意図的に本の話を書いてるんだぜ。それはこの本の中にもその決意というか、意図を書いてるんだ著者が。こんなに本の話が中心になったエッセイ集って、岩波新書の『活字のサーカス』シリーズ以外にはないでしょ? それなのに、その意図を否定するようなニュアンスはないよ。
椎名文庫の帯には「移動本読み」エッセイとあるぜ。
目黒その通りの内容なんだ。さすがにこのタイトルはないよなと思って、帯で補正したんじゃないの?
椎名どうしてこんなタイトルにしたのかなあ。
目黒あなたに無断で変えないからね(笑)。こういうタイトルでどうですかって打診があって、それをあなたがOKしたってことだからね。
椎名まあ、そうだな。
目黒「本などいらない草原ぐらし」というのは、最後におさめたエッセイのタイトルなんだ。映画の撮影のためにモンゴルにいったとき、15冊の本を持っていったけど、まだ2冊しか読んでないという回のタイトル。だから、嘘ではないんだけど、それを全体のタイトルにしちゃうと、ニュアンスが違ってくる。本の雑誌社から出して、その後角川文庫に入るときに改題した本のシリーズがあるでしょ。このあとも出てくるんだけど、とりあえずここまでは次の三作。
『酔眼装置のあるところ』→『ばかおとっつあんにはなりたくない』
『むはの迷走』→『やっとこなあのぞんぞろり』
『むはの哭く夜はおそろしい』→『本などいらない草原ぐらし』
この三作では、なんといっても『ばかおとっつあんにはなりたくない』がベストだね。あれはタイトルも素晴らしいし、カバー写真も傑作だ。それに較べてあとの二冊はよくないと思う。『やっとこなあのぞんぞろり』は改題タイトルがつまんないだけだけど(笑)、この『本などいらない草原ぐらし』は作者の意図に反するわけだから、罪はこちらのほうが重い。ただ、改題されるということはもとのタイトルがひどいからで、それはおれも反省する(笑)。
椎名椎名(笑)。
目黒細かなことを幾つか聞こうか。この本の中に、「いま五年ぶりに新作の書き下ろしに取りかかっている。新潮社の箱入りハードカバー純文学書き下ろし特別作品と銘打たれた格調高いシリーズの一冊なのだ」とあるんだけど、これは何?
椎名結局書けなかったんだ。
目黒あとは、SF三部作の次は、長編で「生きている川」の話を書きたいと思っているというくだりが出てくる。これがいいんだよ。「朝がた川が緑色にくねってすすりないていた」というところから入っていきたいのだ、とこの本の中で椎名が書いている。いいじゃん、これ。川が「緑色にくねってすすりないていた」んだよ、読みたいよなその続きを。結局これは書かなかったんだよね? どうして書けなかったのか、その理由を知りたい。
椎名どうしたんだったかなあ。覚えてないなあ。
目黒いまからでもいいから書いてほしいなあ。読みたいよ。
椎名わかりました(笑)。
目黒ふーん。じゃあ、1992年12月号から海燕で隔月連載を開始した連作は『武装島田倉庫』と同じ世界を設定したと、そこに出てくる人々は前作とはまったく別だが、同じような世界と時代を背景にもっているというわけである、とこの本の中で書いているんだけど、これは完結したの?
椎名4回くらい書いたけど、完結はしなかった。
目黒1回何枚くらい?
椎名40枚かな。
目黒じゃあ、一冊にならないか。
椎名いくつかの本にばらばらに入っているよ。
目黒それを〔北政府もの〕としてまとめようよ。他にも短編があるから、一冊になるよ。で、書名を『続・武装島田倉庫』とするの。
椎名インチキ商法だろそれ(笑)。
目黒看板に偽りはないけどね。それに「北政府もの」をまとめて読みたいよ。別にあくどくないよ。ぜひ一考してほしい。:
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