『3わのアヒル』

目黒それでは、次は絵本です。『3わのアヒル』。1994年10月に講談社から出た本ですね。写真・垂見健吾、文・椎名誠とある。だから共著だね。つまり写真絵本。「ちいさなたんけんたい」という叢書の8巻ということになっている。

椎名映画「あひるのうたがきこえてくるよ」のスチールを垂見さんが撮ってくれて、そのときの写真を使って本にしないかと彼に言われて作った本だな。

目黒この叢書の第1巻は、中村征夫さんの『ぴっかぴかの海』という本だよ。

椎名じゃあ、全部写真絵本の叢書なのかな。

目黒そうかもしれないね。ただ、この本の感想はあまりないんで、絵本そのものの話をしようか。たとえばさ、椎名は小さいころに絵本を読んだ?

椎名読んだよ。

目黒えっ、本当かよ。おれ、読んだことないよ。だって、おれたちが小さいころに絵本なんて買って貰ってないだろ。

椎名幼稚園で読んだのかなあ。

目黒おれ、幼稚園に行ってないよ。意外だなあ椎名(笑)。

椎名そのころ読んだ絵本で、「おいしいごはん 砂さえついていなければ」ってあったのを今でも覚えている。

目黒それ、なんという絵本?

椎名書名まではなあ。でもディズニーの絵本だった。

目黒その絵本の中の一節を覚えているということね。

椎名そうそう。

目黒幼稚園で絵本を読んでいた少年が、どうして高校生になったときには暗い目をした不良少年になっちゃうの?(笑)。

椎名それは関係ないだろ(笑)。おれ、本だって読んでたよ。兄貴たちの本が家にいっぱいあったから。筑摩書房の三段の日本文学全集を中学生のときから読んでた。だから、おさらぎじろうだって読めたもの。

目黒やっぱりさ、ずいぶん前にこのインタビューで、上田凱陸くんが椎名にいきなり小説を依頼したのは何故だろうって疑問を出したけど、それだよ。

椎名なにが?

目黒高校生の椎名は暴れていただけの不良少年だったけど、もともとは小説好きだったことを上田凱陸くんが知っていたからなんじゃないかなあ。椎名が高校で同級生になった上田くんに中学時代のことを話してさ、それで彼が学校新聞に載せる小説を依頼してきたんじゃないの。そうでもなければおかしいよあれ。いきなり頼まないだろ?

椎名そうかなあ。

目黒小さいころに絵本を読んでいても、次に読むのは子供が生まれてからだよね。子供が生まれてからは、たくさん買った?

椎名沢野がこぐま社に勤めていたから、子供が生まれる前から絵本は読んでいたよ。

目黒あ、おれもあいつからこぐま社の絵本を何冊か貰ったな。

椎名お前、こぐま社で働いていただろ。

目黒おれは絵本を作っていたわけではなくて、あの会社が受注していた業界誌の編集をしてたんだけどね。社員ではないから毎日出社する義務はないんだけど、昼飯代の補助が出たから、食券を持って近所の定食屋によく行ったなあ。

椎名どのくらい、あの会社にいたんだ?

目黒1年くらいかなあ。そのうち本の雑誌が忙しくなって、やめたんだ。そうそう、本の雑誌4号の特集「読み方の研究」の冒頭に、沢野が本を読んでいる写真が載っているんだけど、あれはこぐま社の屋上で椎名が撮ったとあとで聞いたよ。おれはもうそのころこぐま社にはいなかったから、あそこの屋上で撮ったんだと思った記憶がある。4号は1977年の春に発売したから、おれが在籍したのは1976年だね。

椎名そんなこと、よく覚えてるなあ。

目黒いま思い出したんだよ。あの会社は土曜が休みなんだけど、おれはよく一人で出社したことも覚えてる。普段できない仕事をやろうと思って。あのころは競馬を休んでたんだな、土曜に会社にいくということは。で、仕事を始める前にスポーツ新聞を読んでると、社長が出社してくるのさ。いつもあわててスポーツ新聞を隠したな。

椎名(笑)隠すこともないだろ。お前が幾つのころ?

目黒30歳のころ。

椎名懐かしいなあ。

目黒絵本の話をしてたんだけどね(笑)。

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