『猫殺し その他の短篇』

目黒それでは、『猫殺し その他の短篇』にいきます。これは1994年10月に文春から出て、1997年9月に文春文庫と。その文庫化のときに『トロッコ海岸』と改題。これは小説集ですが、ほぼ同時期に新潮社から『鉄塔のひと その他の短篇』という小説集を出していて、つまり2冊が対になっているんだけど、文庫化のときにこちらを改題したので、いまはそれがわかりにくくなっている。『猫殺し その他の短篇』は私小説で、『鉄塔のひと その他の短篇』は超常小説。もっとも私小説とはいっても、『岳物語』のように実名で著者が登場するのではなくて、実話をベースにした小説だね。

椎名そうだな。

目黒だから聞きたいんだけど、この「椿の花が咲いていた」って短編も実話なの?

椎名どんな話だ?

目黒若いときに温泉出版事業社というところの「編集記者募集」という求人広告を見て、訪ねていくんだよ。編集記者とはいっても、その実態は「東京観光斡旋所案内地図」という8000円の本を売り歩くセールスの仕事で、熱海の温泉旅館に売りにいくんだ。その本が売れると半分が手取りになる。1日売れなくても熱海までの往復交通費として1000円貰えるから、実際の交通費640円の差額をもらうことが出来るというシステムだね。これ、実話?

椎名実話だよ。都内の観光旅館斡旋所はちょうど80箇所あるので、1か所百円ですってセールス文句を教えられたのを覚えている。

目黒実話なんだ。このころは椎名がデビューして15年たっているんだけど、よくここまで書かなかったねえ。いいネタだよねこれ。

椎名そのあとこの話を別の機会に書いてるよ。

目黒その「東京観光斡旋所案内地図」、実際には売れたの?

椎名売れなかったなあ。ふてくされて海岸にいたら、一緒に熱海にきた同僚と会ってさ、いきなりセールスするのではなくて、取材のふりをして、最後に売るのはどうかって話になった。で、そうしたら1冊売れた。

目黒小説では、取材のふりをするのは椎名が考えたことになっている(笑)。しかもそうしたにもかかわらず、小説では1冊も売れなかったことになっている。現実を少しデフォルメしているということだね。このあと、どうなったの?

椎名そこで働いたのは1日だけだよ。

目黒えっ、1日で辞めたの?

椎名うん。

目黒なんだ、椎名も1日で仕事をやめていたのか。じゃあ、おれだけじゃないんだ。若いころのおれは、1日で会社を辞めることを繰り返していたから、こんなダメ男はおれだけだと思ってた。おれだけじゃないんだ(笑)。

椎名そこに納得してもなあ。

目黒「猫殺し」「トロッコ海岸」「デカメロン」「ほこりまみれ」の4編は少年たちの日常を描いたもので、これらの短編はなかなかいいよ。

椎名ふーん。

目黒ただ空回りしている短編もあるんだよ。たとえば「蛇の夢」って短編があるんだけど、いろんな夢を見たってだけの話。小説が始まってもいない。まだ構想の段階のままだね。そういう印象が強い。「謎の解明」という短編もなあ。

椎名それはどんな話?

目黒ストアーズレポートが届くというところから始まるんで、もう辞めたあとの話なんだ。で、昔を思い出すって話だけど、会社にいつもチクルやつがいて、あのとき社長に呼び出されて怒られたのはそいつのせいだったんだと気づく話。他にはなにもなくて、ただ、それだけなんだよ(笑)。ちょっと苦しいね。「映写会」は比較的にまとまっているけど、初期の「米屋のつくったビアガーデン」みたいな話で、可もなし不可もなし。だから玉石混淆だね。冒頭の少年小説は素晴らしいけど。

椎名このころは、雑誌に書いた小説がたまると本になって、それが数年後に文庫になって、何も考えていなかったなあ。

目黒椎名の短編小説傑作選というのは編まれてないの?

椎名ないな。

目黒札幌の出版社から出たやつがあったでしょ?

椎名あれはSF傑作選。

目黒版元の人間が編んだの?

椎名いや、おれが自分で選んだ。

目黒自選か。SFがあるのなら普通小説の傑作選があってもいいよね。たとえばここから取るなら冒頭の4編だ。そうやって集めれば、2〜3冊は編めると思う。

旅する文学館 ホームへ