『長く素晴らしく憂鬱な一日』

目黒それでは問題の『長く素晴らしく憂鬱な一日』です。ブルータスに連載した小説で、1988年マガジンハウスから刊行されて、1990年5月に角川文庫に入った長編小説です。椎名は覚えているかなあ。この小説が連載中に、椎名と会うたびにオレ、「あんなにつまらない小説は早くやめたほうがいい」って言ってたの(笑)。あのころはしょっちゅう会ってたから、何度も言ったと思う。そしたら、気がつくと終わってて、あれどうしたんだろうと思って聞いたら、お前があんまりやめろやめろと言うから、やる気がなくなっちゃったよって。それ、覚えてる?

椎名覚えてないなあ。

目黒ただね、1987年の作品で、それ以来読んでないから、こないだ久々に再読したんだ。もしかすると今ならまた違った感想を抱くかもしれないって思ったからさ。ところが、やっぱりつまらなかった(笑)。あのね、たとえばこういう文章がある。
「おれはその自己業務内容のうち二分の一を小説家として申請公示しておりすでに三誌に不変不毛小説の連載を書いているヒトなのである。それがこのような亀屋万年堂ナボナはお菓子のホームラン王です的発想で終始していたのでは断固として名作は生まれまい、という真実の事実というものに気づいてしまったのであった」
 これ、椎名の初期エッセイの文体だよね。『さらば国分寺書店のオババ』とか『気分はだぼだぼソース』とか『かつをぶしの時代なのだ』に共通する特徴的な文体といってもいい。でも1987年の段階では、椎名のエッセイにこういう文体はもうないんだよ。にもかかわらずここでこの文体を使用したのは、明らかに確信犯だよね。つまりこの文体を使うことの意味があるはずだと思う。パロディにするとかね。ところがいくら考えても、その意味がわからない。

椎名この小説はある一日を、一年間連載したんだね。ある一日に見たこと感じたこと体験したことを書いたんだね。ええと、だから何だ(笑)。

目黒あのね、『自走式漂流記』の「椎名誠、全自作を語る」の中で、この『長く素晴らしく憂鬱な一日』について椎名はこう語っている。「ロシアの東洋史学研究家スピリードフ教授という方が、ぼくの本をロシア語に訳したいと言ってくれたことがあり、何を翻訳するか決める時に自分では『岳物語』かな、と思っていたら、先生は『長く素晴らしく憂鬱な一日』が最高だとほめてくれました」。つまり、小説ですから私のように批判する人もいれば、スピリードフ教授のように褒める人もいる。これが当然なんですよ。つまらないと言うのは、あくまでも私の個人的な意見にすぎない。それはちょっと確認しておきたい。

椎名うーん。

目黒私の個人的な意見であることを前提に言えば、無意味な挿話が続くのも気になる。たとえば主人公は特殊能力を持っているとの設定なんだけど、その能力とは、汁碗の蓋を開ける2〜3秒前に、その中の具を感知する能力だって言うんだけど、腰が砕けそうになるほどくだらないよね(笑)。それがユーモアにつながったりするならまだわかるんだけど、これがなんにも展開しない(笑)。

椎名うーん。

目黒角川文庫の解説を沢田康彦が書いているんだけど、沢田はブルータスにこの小説が連載されていたときの椎名の担当者だよね。おそらくその縁で文庫の解説を椎名も依頼したんだろうけど、沢田がその解説の中で、この小説の内容にまったく触れてない(笑)。椎名の字がいかに読みにくくて困ったか、という話を延々書いている。解説なのにその小説の内容について触れないというのは、解説者がそれを読んでないかつまらないかのどちらかだよね。全部とは言わないけれど、多くのケースはそのどちらか。沢田は雑誌連載時の担当者だから読んでないことはあり得ない。となると、残るのは後者しかない。ま、それも沢田の個人的な意見にすぎないけどね。

椎名うーん。

目黒このころの椎名の行動が読み取れるのは面白いけどね。たとえば、「このごろの陶玄房は混みすぎだ」と沢野ひとしが十日ほど前に白濁鰐目で呟いていたのを急速に思い出した、という一文が角川文庫版の66ページに出てくるけど、そういえばこのころ椎名がよく言ってたなあと思い出した。「お前の店は安いから混むのだ。もっと高い店を作れ」と冗談半分にトクちゃんに言って、それで出来たのが犀門だよね。あのころの時代がそうやって投影されているのは興味深い。ま、その程度かな。

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