『パタゴニア』
目黒それではいよいよ、『パタゴニア』です。1987年5月に情報センター出版局から刊行されて、集英社文庫に入ったのが1994年6月。この時期の最高傑作だね。再読してもその印象は変わらなかった。25年たってもこれは素晴らしい。
椎名やっと褒めてくれたか(笑)。
目黒南米のパタゴニアに行ったのは1983年11月。椎名が39歳のときだね。これはテレビの仕事だよね。
椎名テレビ朝日だね。
目黒その7年後にもパタゴニアに行っているけど、それもテレビ?
椎名全部で4回行っている。5〜6年ごとかな。
目黒えっ、4回も行ってるの?
椎名最後に行ったのはNHKの仕事。忘れられない場所に行くって1時間番組の企画で行った。そのとき、最初にパタゴニアに行ったときに乗った軍艦の艦長から、会いたいって連絡がきたんだけど、その連絡がきたときは帰国する寸前で、時間がないから会えなかった。あれが残念だったな。
目黒この本がいまでも胸に残るのは、日本を立つ前に妻が精神的な危機に陥って、うつとは書いてないんだけど──。
椎名うつだろうなあ。
目黒椎名が作家としてデビューして何年かたつと、マスコミが傍若無人に家の中に入り込んでくる。夜中に電話がきたり、しかも全部が仕事の電話ではなくて、中には無言電話もあったりして、妻の耳の奥に電話のベルが絶えず鳴りはじめていく。このあたりのことがまず詳細に描かれる。でね、おやっと思うのは、ここまで書いていいのかなと思うことを椎名が書いている。「会社をやめたあと、ぼくには次の目標があった。それはいささか危険な目標でもあった。ぼくは妻と家庭から離れていこう、と思ったのである。すでに子供がいた。そしてぼくは妻と子供を静かにしみじみと愛していた。しかしぼくにはそれがすこし重かったのである」とか、「もう寝てしまっているときにかかってくる電話はつらい、とも言った。しかしぼくは、そういう仕事の世界に入ってしまったのだから我慢しろ、となんとなく不愉快になりながらそう言った」とか、正直に書いている。これがあとでじわじわと効いてくる。もう一つは、椎名が27歳のときに九州に行ったときの回想。例の「長崎の女」だけど、長崎に向かうバスに乗っていたとき、ある停留所に女の人が立っていて、目が合うとここで降りてしまおうかと思う回想。結局は降りないんだけど、いまの人生をすべてなげうちたいという衝動だよね、これは。この「長崎の女」はブルータスに書いたエッセイでしょ?
椎名そうだ、ブルータスだ。
目黒『パタゴニア』の単行本を読んだとき、ブルータスに書いたエッセイをうまく取り入れてるなと感心した記憶がある。そういう幾つかの思いが重なって、日本を旅立つ著者の背後にあるから、マゼラン海峡やビーグル水道の、風がぴゅーぴゅー吹き荒れる、その背景に緊迫感が漂っている。もしかすると日本に帰ったとき、妻はいないかもしれない、家庭は崩壊しているかもしれないという不安が、その吹き荒れる風の背後にある。たぶん計算して書いたわけではないんだろうけど、とても構成としてすぐれている。これはだからエッセイでも旅行記でもなくて、私小説だよね。こういう妻との話、椎名はこれまで書いてこなかったよね? このあとも書いてないんじゃないの?
椎名2011年の秋に出した『空を見てます泣いてます』で書いた。この『パタゴニア』のときの話。このときには書かなかったことをもっと正直に書いている。
目黒えっ、まだ書いてなかったことがあるの?
椎名そうだね。
目黒それは読みたいねえ(笑)。ここで言っておかなくてはならないんだけど、このインタビューを始めたあとに刊行された椎名の著作はあえて読まないようにしている。年代順に読む予定でいます。
椎名うん、そうしたほうがいいよ。
目黒文庫の解説を中沢正夫さんが書いていて、そこで中沢先生も指摘しているんだけど、この最初のパタゴニア旅行は1983年なのに、本が刊行されたのは1987年。なんと4年もかかっている。これはやっぱり書きにくかったの?
椎名そうだなあ。早く書かないと旅のことを忘れてしまいそうだからまずいんだけど、やっぱり気が重くてなあ。
目黒ほかに覚えていることある?
椎名当時は日本に電話がつながるまで5〜6時間かかったんだ。しかも泊まっているところからはかけられない。でも電話局で5〜6時間も待っていられないだろ。つまり日本とは連絡が取れないということだよ。日本で何が起きているか、まったくわからない。それがいちばん辛かったなあ。
目黒わかりました。それでは『空を見てます泣いてます』を順番がきたら読みますが、とりあえずここでは、この『パタゴニア』が過渡期の傑作であると申しておきます。
椎名ありがとう(笑)。
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