『岳物語』その2
目黒父親の見ている前で鉄棒から落ちるっていう話は、この正編に書いてあったよ。
椎名そうか、ここに書いたのか。
目黒それとね、正編に収められている「三十年」という題名の短編のなかで、椎名はこう書いているんだ。これがとても興味深い。
自分の子供の頃の話をこんなふうに書くのは初めてのことで、どうもこれはまるっきり私小説のようになってきてしまっていてまずいなあ、と思うのだが、しかし書いていて何か自分がこれまで知らなかったことが、ふいにあられもなくあきらかにされてくるような気配も見えたりして、なんだか自分でもちょっと面白いのだ。
ということは、最初はこういう私小説の連載をやるって計画ではなかったということだよね?
椎名うん。1回だけのつもりだった。決まっていたのは1回30枚の小説を書く連載であるということだけ。たまたま第一回目には岳を主人公にしたけど、次は全然関係ない話を書くつもりだった。ところが1回目の評判がいいんで編集者に言われて続きを書いていたら、この長さになった。
目黒なるほどねえ。たぶん全然計算しないで書いたと思うんだけど、現在と過去が微妙に交錯しているんだよね。たとえば、父親が亡くなるときの回想がある。椎名はそれほど悲しみはないんだけど、隣室から母親の嗚咽が聞こえてくるという回想。作者は嗚咽という表現はしてないけど、とても文学的なシーンだよね。
椎名何もわからずに書いていたころだからなあ。
目黒続編になるともっといい。たとえば野田さんが犬ガクを放し飼いしている挿話がとても効いているんだ。野田さんのこんな台詞がある。
「でもね、たとえガクのやつが鯉のスイコミを呑んであのとき死んでしまったとしてもね、囲いの中に鎖でつながれたまま長生きして死ぬよりも、やつ自身は満足だったんじゃないかなって思うんですよ。いまの世の中は犬にも人間にも自由の代償っていうのはやたらに重くなっているわけなんですね、きっと」。
この挿話が効いているのは、人間岳を放し飼い、というのもヘンだけど、ようするに自由放任主義で育てることだね、そういうことに通底しているからだよ。これは初読のときに気がつかなかった。たぶん椎名は計算して書いたわけではないと思うけど。つまり、犬も人間も自由に生きるほうが断然いい、というモチーフがこの長編の底を流れているわけだ。それともう一つ、言っていい?
椎名いいよ(笑)。
目黒この小説がこんなに多くの読者を捕まえたのは。
椎名文庫版だけで二百万部。
目黒わかった(笑)。続編の単行本あとがきで、椎名はこう書いているよね。
前作『岳物語』がちょっと思わぬ評価というか判断のされかたをして、すこしあせってしまった。子育て、教育をベースにした物語というふうに一部でとられてしまったのだ。このモノガタリは、そんなものじゃなくて、オヤバカをベースにした男たちの友情物語のつもりである。
たしかに一部でそういう受け取り方をされたけど、多くの読者はもっと違う面を見ていたと思う。というのは、椎名はけっして正しい教育者ではないんだよ。立派な父親でもない。そこに惹かれたんだと思う。そうでなければ、ここまで支持されないよ。
椎名どういう意味?
目黒この父親はすごく横暴なんだ(笑)。部屋を開けてシンナーの匂いがすると、普通はこれは何だと聞くでしょ? ところがこの父親はずかずかと部屋に入って怒ってバッと窓を開けるの。もっと幼いときには、ここに座れって座らせて、バリカンで息子の頭をガーッと刈り上げる。子供の都合を何にも聞いてないんだよ(笑)。
椎名そこまではしてないだろ?
目黒面白いのはね、子供が小さいころはそれでもいいんだけど、小学校高学年くらいから親に反抗するようになるんですよ。自意識が芽生えるから。バリカンを刈ろうと思ってもイヤがるようになる。そうするとこの人は、何なんだこないだまでおとなしくバリカンで刈ってあげたのにって怒るんですよ(笑)。単純というか、ある意味ではとんでもない父親だよ。怒るというよりも右往左往するというニュアンスだけどね。そうして妻に言われたり野田さんに言われたりして、そうかオレがいけなかったのかと反省したりする。だからけっして正しい教育者ではない。犬ガクと人間岳を自由放任で育てるという面は持っているけど、そういうどこにでもいるような父親なんですよ。つまり読者にとっては、この父親は特別の存在ではなく、まるで自分を映す鏡のような存在なんだ。だからこそ、読者の胸を打ったんだと思う。
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