『岳物語』その1
目黒それでは『岳物語』。正編が1985年5月に集英社から出て、続編が翌年7月刊。本来は別々の本なんだけど、間を置かずに刊行されているので、ここでは一緒にやりましょう。文庫は正編が1989年の9月に出て、続編がその翌年の11月刊。この文庫について先に言いたいことがあるんだ。
椎名文庫だけで二百万部売れたんだ。
目黒そういうことじゃないよ。
椎名何?
目黒おれはね、この小説をすごく気にいっていたわけだよ。本の雑誌では仲間の本はいっさいとりあげないと決めていたのに、この『岳物語』はどうしても紹介したくて、「ただ一度だけ禁を破る。二度は破らない」とわざわざ断りをつけて新刊ガイドで紹介したわけ。あとにも先にも椎名の本を、おれが本の雑誌で紹介したのはこの『岳物語』だけなんだよ。
椎名そうか。
目黒でね、そのくらい気にいっている小説だから、この『岳物語』が文庫になるときはオレに解説を書かせてくれと。そう頼んだわけさ。
椎名お前が書いたの?
目黒違うよ。そのときには、おお、頼むなって椎名は言ってたのにすっかり忘れちゃって、気がついたらもう文庫が出ていた(笑)。
椎名誰が文庫の解説書いたんだ?
目黒正編は斎藤茂太。でね、もう済んだことは仕方ないから、続編のときは絶対だぜって念を押したのに、また椎名が忘れちゃった(笑)。
椎名続編の文庫解説は誰?
目黒野田さん。
椎名そうかあ、悪かったなあ。全然覚えてない(笑)。
目黒そういうことがあったことを記録として残しておきたい(笑)。今回25年ぶりに読んだけど、やっぱりいいね。で、いろいろ聞いていきます。
椎名覚えているかなあ。
目黒あれっと思ったのはね、正編の文庫版でいうと156ページに、「私は記憶にある子供の頃の自分がじつに決定的に嫌いだった」と出てくるんだよ。続けて、「おそらく、私はとてもイヤな子供だったのだ、という確信があるからなのだ」とあって、その理由として母親にベレー帽をかぶらされたことと、級長だったので教室でいたずらしている友達に「君たちそれはいけないじゃないか」などと言うようになったことをあげている。でもね、ベレー帽をかぶっていたことと、教室で級友に注意をすることって、それだけでイヤな子供であるって普通は思わないだろ? この心理が少しわからない。
椎名世田谷から千葉に引っ越していったわけだよ。そうすると言葉が通じない。
目黒通じないってどういうこと?
椎名「君」なんて言わないんだぜ。「にしゃ」って言うんだ。
目黒えっ、何、それ?
椎名それが「お前」ということなのさ。
目黒なるほど、それで椎名も「にしゃ」と言うようになって、そういう中で育って高校に入ったら、中野から転校してきた沢野やその友達の木村が「君」と言うんで、こいつらは違う文化圏の男たちだなと驚いたわけだ。
椎名それはずっと後年の話で、小学生のころは言葉が通じないから、つまりいじめにあうわけだな。
目黒えっ、いじめにあってたの?
椎名ベレー帽をかぶっていくと、椎名くんは座布団を頭に乗っけてきたとかさ、言うわけだよ。
目黒冷やかされたわけだ。それがイヤだったと。
椎名そうだな。すぐに坊主になったけどね。
目黒でもそれは、幼いころの椎名が置かれた状況がいやだったということで、椎名が悪いわけではないよね。つまり椎名がイヤな子供だったということじゃないでしょ?
椎名そうだけどな、でもまわりに順応していかなければならないわけだろ。ボウズになったりとか、家を出るときにはベレー帽を被るけど角を曲がった途端に取って、また帰るときにかぶるとか、そういうことをしなければならないのがイヤだった。
目黒だからそれも子供の頃の椎名がイヤな子だったわけではない。おれが思ったのは、乱暴で、粗野で、腕白な子供でありたかったのに、まったく逆の優等生だったから、そういう自分がイヤ、という意味かと思ったんだ。
椎名違うよ。おれは小さいころ優等生で、そういう自分がイヤではなかったから。
目黒子供って複雑だな(笑)。
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