『あやしい探検隊 北へ』
目黒『あやしい探検隊 北へ』にいきましょう。1984年5月に情報センター出版局から刊行されて、1992年7月に角川文庫に入りました。これがなんと書き下ろしなんですね。1984年と言えば、いちばん忙しいころでしょ。よく書き下ろしを出来たよね。
椎名星山につつかれたんだろうな。
目黒結論から先に言うと、マニラとパラオの話が浮いてるね。この二つを除くと、初期探検隊の最後のほうの話で、それなりに面白いんだよ。特に福島にいくくだりはいま読んでもケッサク。車何台かに分乗して、トランシーバーで「パンツ1号からバンツ2号につぐ」ってやつ。くだらなくていいよ。笑っちゃったのが「丸美屋の薄皮まんじゅうにつぐ!ただちにあんを捨てて外に出なさい!」ってやつ。木村さんが言ったのかな。あれはくだらなくていいよ(笑)。
椎名そうそう木村だよ。
目黒あと、この本の末尾に座談会が入っていて、おれも出ているんだけど、そこで粟島の蚊取りテント事件が語られているんだよ。朝起きたら小安がずっと離れた岩の上で毛布にくるまっててさ、どうしたのかなと思って、あいつのテントを開けたらそこに蚊がいっぱい入っていた。つまり本来なら蚊よけのテントのはずなのに、小安のテントは蚊を集めるテントじゃなかったのかという事件(笑)。
椎名小安の憮然とした表情がおかしかったな。
目黒そういうふうに面白いところはあるんだけど、マニラとパラオは探検隊じゃないんだよ。椎名一人の海外旅だから、それをここに入れるのは無理があるよね。どこかの雑誌の仕事で、そっちの編集者と行っただけだから。
椎名ページかせぎだろうな。
目黒増刊号の「自著を語る」で、『イスタンブールでなまず釣り』に触れて、「これはあやしい探検隊外伝。あの頃は海外旅物をあやしい探検隊としてまとめるのに抵抗があったのでこのタイトルにしました」と椎名自身が語っているんだ。そういう節度というか配慮というか、きっちりとした構成がここにも欲しかった。マニラかパラオか、どっちかには沢野が一緒だけど。
椎名そうか。
目黒沢野いくぞって電話をかけて一緒に行くんだ。よく外国まで一緒に行けたなあ。沢野まだ勤めてただろ?
椎名あのころは暇だったのかなあ。
目黒あともう一つ、あとがきで椎名が前作の『わしらはあやしい探検隊』では神島を中心にしましたが、今回は粟島を中心にしましたと書いているんだけど、その通りになってないこと。最初の『わしらはあやしい探検隊』はたしかに神島を中心にして、結果的にそれが引き締めていたけど、今回は粟島が中心になってないので、ばらばらという印象が強い。粟島の話はいい話が多くて印象深いのに、それが散漫になっているのはもったいないね。構成のミスだと思う。
椎名でもこの本、売れたんだよ。
目黒そりゃ売れるでしょ。だって探検隊の2冊目だもの。待っているファンが多かったじゃないかなあ。
椎名ヤマコーの写真もよかったしな。
目黒写真といえば、文庫版の55ページの写真。キャプションは「粟島の漁場に向かう」となっているんだけど、これ、違うでしょ?
椎名どれだ?
目黒これこれ。
椎名神島かなあ。
目黒そうだよ伊良湖岬から神島に向かうときの写真だよ。オレ、持ってるものこの写真。椎名の手前で白い帽子をかぶってるのがオレだよ。
椎名どうして間違えたのかなあ。
目黒結論としては、面白い挿話は多いんですが、そうそう式根島の山田事件もここに書いてあった。式根の夜に、「やまだー」と叫んだらそのときテントを張っていた連中がみんな「やまだー」と叫んだというだけの事件だけど(笑)、個人的には懐かしい。ただ不要な海外旅の部分があるんで傑作になりそこねていると。第1作の『わしらはあやしい探検隊』は、椎名がまったく構成を考えないで書いた本にしては奇跡的に傑作になったけど、こちらはそういうふうに構成を考えないで書いたことの欠点が出てしまっていると。それが結論かな。
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