『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』その2

椎名忙しいときなのに、しかも依頼されてもいないのに100枚も書き足したのって、たぶん原稿を書く楽しさを知ったころだからじゃないかなあ。だって何書いてもいいわけだろ。メグロを味噌蔵に閉じ込めて、上のほうからチラシをやぶったものを蒔いてもいいわけだ(笑)。

目黒あのさ、「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」って創作だろ。つまり小説を書く楽しさを初めて知ったころだった、ということじゃないかなあ。ちょっと待ってね、椎名が最初に書いた小説「ラジャナムダン・キック」が「海」に載ったのは、ええと、1980年6月号だから、「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」を書き足していたのはその直後だ。なるほど、事実関係も合うねえ。

椎名当時「海」の編集部にいた村松友視さんと知り合って、小説を依頼されたんだけど 、オレも村松さんに本の雑誌の原稿を依頼したんだよ。

目黒村松さんが本の雑誌に初登場したのは第18号だね。1981年5月刊です。思い出した。四谷三丁目のビルに本の雑誌の事務所があったころ、椎名が「小説の書き方って本を買いにいかなくちゃな」と言ったことがあるんだよ。何だろうって思ったら、小説を依頼されたんだけどどう書いていいかわからないから、そういう本を買いにいこうと。まあ冗談なんだろうけど、へーっ、小説を書くんだって思った記憶がある。小説については、1982年8月刊の『ジョン万作の逃亡』が第1小説集なんで、そのときにやりましょう。

椎名そうだな。

目黒ええと、この「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」は1990年に関西テレビでドラマ化されてるよね。関西だけの放映だったようだけど、テープがおくられてきたはずなんだけど、見た?

椎名よく分からなかったなあ(笑)。

目黒オレもよくわからなかった(笑)。黒沢清のカルトドラマで出世作と言われているらしいけど。

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