『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』その1
目黒それでは1981年4月刊の『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』ですが、30年前の本なので細かな内容を忘れていたんだよ。だから再読すると、とても意外。というのは、表題作はもちろん本の雑誌に書いたものを長編化したんだけど、これ以外にも「うなだれし荒野のベストセラー」とか、「文藝春秋10月号四六四頁単独完全読破」とか、初期の本の雑誌に書いた原稿を収録していて、つまり本の雑誌に書いたものだけで一冊にしたとばかり思っていたら、他の媒体に書いたものも結構入っている。すっかり忘れてた。
椎名ほお。
目黒たとえば、朝日新聞でしばらく連載していた「マガジンジャック」の前半とか。この後半はどこか別の本に入っているはず。あとは噂の真相とか、情報センター出版局が出していた「月刊ジャーナリスト」とかに書いた原稿を集めて一冊になっている。
椎名なるほど。
目黒で、面白かったのは、「銀行ロビーになぜアサヒ芸能はないのか」というエッセイ。これも本の雑誌じゃなくて、よその雑誌に書いたものなんだけど、すごく面白かった。こういうタイトルなのに、どういうわけかラーメン屋の話から始まるんだよ。それも1979年の段階でラーメン屋を3通りに分類するの。で、その丼の話に移って、丼にはどういう種類があるかとかね、なかなか銀行ロビーの話にならない。結局ラーメン屋に置いてある雑誌の話から銀行ロビーの話に移っていくんだけど、面白かったなあ。たぶんプロットも何も考えずに頭に浮かんだものをただ書いただけなんだろうけど(笑)、いま読んでもこのエッセイは十分に面白い。
椎名覚えてないなあ(笑)。
目黒表題作は本の雑誌に書いたものを長編化したんだけど、本の雑誌に書いたものはたしか4ページぐらいだった記憶があるから、短いものなんだよ。10枚ちょっとだよね。それを単行本にするとき椎名が書き足して、単行本で64ページもあるからたぶん一〇〇枚以上でしょう。1981年といえば、椎名がデビューして各社から依頼が殺到して忙しい時期だよね。書き足すような時間がよくあったよな。
椎名1981年4月って『かつおぶしの時代なのだ』を出した月だよな。
目黒そう、この月には情報センター出版局から『かつおぶしの時代なのだ』、本の雑誌社から『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵』と、2冊同時に出た。そういう忙しい時期によく書いたよね。
椎名どうして書き足したの?
目黒オレに聞かないでよ(笑)。沢野がなかなかイラストを書かないんで発売予定がズレちゃったんだよ。そしたら、じゃあもっと書くって椎名が言いだして、どんどん書き足したの。でね、この「もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵」ってのは椎名の創作であることを一応言っておきたい。角川文庫版の解説でもオレが書いているんだけど、事実は三つだけ。椎名とオレがこの直前に喧嘩したこと、オレが池袋の芳林堂によく行っていたこと、当時鷺の宮に住んでいたこと。この三つは事実だけど、あとは全部椎名の創作。オレには武道家の祖父もいないし、天心無双流という古武道も習っていないし、笛吹きケットルも持ってない(笑)。
椎名(笑)。それ、本当にオレが書いたの? お前が作ったんじゃないか?
目黒オレが書くわけないでしょ。細部を覚えてないの?
椎名全然。
目黒活字になっちゃうと信じる人もいるからさ。このころ配本にいくと指さされて笑われたもんオレ。あれでしょ、味噌蔵に閉じ込められた人でしょって(笑)。
椎名どこで書いてたのかなあ。本の雑誌の事務所では書かなかっただろ?
目黒あのころは忙しかったから、風のように事務所に現れて風のように去っていったよ。だから家で書いてたんじゃないか。
椎名書くのが楽しいころだったからなあ。あっ、思い出した。装丁を山藤章二さんにやってもらいたくて電話をかけたんだよ。で、タイトルを言うと、ほほお、あなたは落語が好きなんですねって言われた。それを思い出した。
目黒オレも思い出したんだけど、あのころ椎名はよくヘンな葉書を出したんだよ。原稿を書いてもらいたい人に、1)ぜひ書きたい 2)どちらでもよい 3)進んで書きたくはないっていう葉書(笑)。それに○をつけて返送してくれっていうの(笑)。山藤さんにも出さなかった?
椎名(笑)出してないと思う。
目黒おれさ、山藤章二さんが装丁を引き受けてくれたって話を聞いたときに、山藤さんっていい人だなあって思った記憶があるんだよ。あんな失礼な葉書を出したのにって(笑)。
椎名だから出してないって(笑)。
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