『さらば国分寺書店のオババ』その1
目黒ええと、これから椎名誠がどういう本を書いてきたか、その背景には何があったのか、それを一つずつ聞いていこうと思うんだけど、まず作家になる前にどんな本を読んできたのかということを聞いていきます。『椎名誠の増刊号』(新潮社/1992年刊)に、「椎名誠完全年譜」というのが載っていて、それを見ると、1955年、椎名が11歳のときに、スウェン・ヘディン探検紀行『さまよえる湖』に感銘を受けて探検紀行全集を読みだす、とあるんだよ。まさかこれが生涯初めて読んだ本ではないよね。
椎名それは印象に残ってる本という意味で、人生最初に読んだ本ではないな。本そのものは小学校3〜4年くらいから読んでいたけど、最初に読んだ本が具体的に何かっていうのは覚えてない。ヘディンほど印象に残ってないんだ。振り返ってみれば、宮沢賢治童話全集とか坪田譲治とか山本有三とかを読んでいたけど。
目黒それは学校にあった本?
椎名うん。小学校の図書室。
目黒小学生のときに学校の図書室に行くって結構本好きだよね。オレ、行かなかったよ。
椎名おれは兄がいっぱいいたから家中に本があったんだよ。
目黒あ、そうなの?
椎名でも大人の本だからさ。
目黒それは、どういう本? 松本清張とかのエンタメ?
椎名筑摩書房の現代文学大系って言ったっけ? 三段組のやつ。
目黒本格的なやつだ。
椎名わからないなりに、ぱらぱらやってたよ。小学生のとき。
目黒本を読む少年だったとは意外だなあ。そのころから野原駆け回ってケンカしまくっていたと思ってた(笑)。
椎名外でも駆け回っていたけど、家の中では本を読む少年だったんだよ。
目黒つまり、本に囲まれていたと。環境としては。
椎名そうだな。
目黒だから小学校の図書室にも普通に顔を出していたんだ。
椎名あのころは家で本を買ってくれなかったからなあ。
目黒親が読書に反対してたとかじゃなくて。
椎名貧しかったからなあ。『さまよえる湖』を読むまでは、童話を読んでいた記憶がある。あとはサトウハチローだな。詩集。
目黒ほお。
椎名韻を踏んでいる詩が多いから面白いんだよ。結構読んでたよ。
目黒たとえば、どんなの?
椎名にいちゃんミミズが泣いてるねなんだか今日はさみしいねさみしきゃ早よ寝ろオラも寝る。
目黒すごいねえ。いまでも覚えてるんだ。それ、最近久々に読んだっていうんじゃないんでしょ? ずっと昔に読んだ詩を今でも覚えているってことだ。もう一回、言って。
椎名にいちゃんミミズが泣いてるねミミズじゃないよオケラだよにいちゃんなんだか淋しいね淋しきゃ早よ寝ろオラも寝る。
目黒なんだか、さっきと細かなところが違うような気がするんだけど(笑)。具体的に調べれば、サトウハチローの詩とかなり違うことが判明するんだろうけど、でもすごいよ、そこまで覚えているのは。それ、いいなあ。有名な詩なのかなあ。
椎名いや、わからない。
目黒普通は子供のころってマンガとかを読むものだと思うんだけど、椎名はマンガは見なかったの?
椎名いや見たよ。雑誌の「少年」とかを買ってたなあ。付録が楽しみだった。
目黒当時のマンガ雑誌って、絵物語が載ってただろ。あれが面白かった記憶があるな。
椎名おれも面白かった。当時は娯楽がない時代だからさ、外でドロンコになって遊んで、家に帰ったらマンガとか本を読むしかなかった。テレビもなかったんだからさ。
目黒おれんちにテレビがきたのは昭和32年、いまでも覚えているよ。
椎名家族全員でテレビを見てたよな。
目黒椎名が当時住んでいたのは千葉のどこ?
椎名千葉市幕張町。津田沼の隣だよ。
目黒オレ、よく知らないんだけど、それは発展してた町だったの? つまり映画館に行くにはどのくらいかかったの?
椎名町に一軒あった。
目黒そこまで歩いてどのくらい?
椎名10分くらいかなあ。
目黒結構開けてるねえ。オレんちは映画館まで20分は歩いたなあ。
椎名ちっちゃい映画館だったなあ。
目黒おれと同世代なんだから、同じような映画を見てるはずなんだよ。覚えてるかなあ。当時の東映映画は毎年、忠臣蔵か次郎長をやるんだよ。で、演じる俳優が変わるの。だから、今年の次郎長は誰がやるのかなあと同級生と話した記憶がある。
椎名それは覚えてないなあ(笑)。
目黒という感じで、椎名の著作を一作ずつ振り返っていこうという企画なんだよ。
椎名まだ本が一冊も出てこないぜ(笑)。
目黒まあ、ゆっくりいきましょう。
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