『わしらは怪しい探険隊』その3

目黒『わしらは怪しい探険隊』角川文庫版の解説はオレが書いているんだけど、そこで「東日本何でもケトばす会主催第三回青少年強化合宿三宅島遠征隊行動指令書」というパンフレットを紹介している。これはあやしい探検隊が夏にどこかへ行く前に、椎名がガリ版刷りで作るパンフレットなんだけど、オレ、毎年これが送られてくるのを楽しみに待っていた記憶がある。特別に何が書いてあるわけじゃない。メンバー紹介と注意書きだけだけど、これがくだらないのよ。たとえば隊員規律という項目があって、「帰りたいと言わないこと」という項目がある。すぐに誰かが言いだすんだよ。テント生活は辛いから。このパンフは毎年作った?

椎名どうだったなあ。

目黒第3回の三宅島はオレのところに現存する。あと、第5回の式根島、第7回の粟島パンフはその表紙が増刊号に載っているから、作ったことは間違いない。でも、神島のときは、現地にいくまで神島に行くとは誰も思っていなかったんだから、現存したとしても「伊良湖岬」というパンフだったはずになる。このときは作った?

椎名作ってないなあ。

目黒思いつくままに質問していくけど、こないだ突然思い出したことがある。粟島に最初に行った年なんだけど、夜の11時とかに出発する夜行に乗るために夕方の4時ごろに上野駅に集合したんだよ。で、ホームに常に3人くらいが待っていて、あとは交代に飯を食いに行ったり、駅前にパチンコやりに行ったりしていたの。あれ、壮大な無駄だよね。どうして指定席を買わなかったの? 我々はサラリーマンだったんだから、指定席料金を払えないってことはないよね?

椎名知らなかったんじゃないか。

目黒そんな。考えられるのは、旅行の日程がいつもぎりぎりにならなければ決まらず、そのときには指定席は売れていて買えなかった、ということなんだけど。そうかなあ。

椎名どうかなあ。

目黒まだ特急ときが走る前のことだから新潟まで一晩かかったんだけど、車内は超満員でさ、むんむんと暑いんだ。そしたら沢野がかき氷を食べる真似をしようって言いだして、オレは氷いちごにするとか、氷レモンにするとか、舌を突き出して、ほら赤くなってるだろって。

椎名ばかだねえお前ら(笑)。

目黒あのさ、1968年に琵琶湖に行って、それが東日本何でもケトバス会の最初の遠征なんだけど、これは椎名が言いだしたの?

椎名オレしかないだろそれは。

目黒翌年も琵琶湖に行ったのはなぜ? 粟島には何度も行ったけど、同じところへ行くってケースは少ないよね。

椎名いいところだったんだ。

目黒同じところにテントを張ったの?

椎名まったく同じ場所だったな。

目黒椎名と沢野とニゴリ目高橋と、それとデパートニュース社の先輩である山森さんの四人。これが最初のメンバーなんだけど、ニゴリ目高橋とはその後、会ってるの?

椎名いや、会ってないなあ。

目黒三宅島、房総、式根島、粟島とオレは4回会ってるんだけど、その粟島がオレは最後なんだよ。

椎名オレもそれ以来、会ってない。もともと高橋は変わったやつで、オレが誘うと来るんだけど、自分からは誘ってこないんだ。用もないのにシイナくんって訪ねてくる沢野とは真逆のタイプだね(笑)。

目黒その1回目の琵琶湖は1968年で、椎名が24歳のとき。デパートニュース社に入って2年目。これ以前は、こういうキャンプ旅行ってしたことあるの?中学高校時代からキャンプ旅が好きだったとか。

椎名いや、琵琶湖に行くまでキャンプ旅ってしたことがない。

目黒木村さんたちと暮らしていた克美荘時代も行ってない?

椎名行ってないな。

目黒考えてみれば、克美荘の生活そのものがキャンプ生活みたいなものだから、あえてどこかに行く必要はないか。

椎名そうだな。

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