『風景は記憶の順にできていく』

目黒ええと、『風景は記憶の順にできていく』です。小説すばるの2012年1月号〜2013年1月号に連載して、2013年7月に集英社新書と。この本については「自著を語る」からまずこのくだりを引いておきます。依頼を受けたときに椎名が考えたことをこう書いている。

ぼくの頭に浮かんだのは、自分の人生の中でいまだに記憶に鮮明な様々な思いのつまった場所を、死ぬ前にもう一度わが生きてきた足跡をおさらいするように再訪してみよう、という考えだった。
 この本のタイトルはそんなふうにランダムに様々な記憶の断片をまさぐっていく旅の過程で、いつのまにか頭の中に浮かんできたものである。瞬間的に浮かんだ題名ではあったが、ぼくはけっこう気に入っている。

たしかにいいタイトルだね。ええと、これも細かなことが幾つもあるんですが、どこからいこうか。そうだ、これからいこう、温泉新聞社。若いときにこの会社の営業マンとなって熱海の温泉旅館に資料集を売りにいく話は、椎名のエッセイに何度も出てきましたが、その温泉新聞社が2001年まで存在していたとは驚きだよね。

椎名とっくの昔に潰れたと思ってたのに。

目黒だって50年前でしょ。椎名が関係してたのは。よくあったよね。

椎名インターネットが普及したら、もう対抗できないよな。

目黒あとね、母親は三姉妹の真ん中で、いちばん上が新潟に嫁いだというのは書いていたけど、下の叔母さんが深川の木場職人に嫁いだとは知らなかった。そんなこと、いままで一度も書いたことがないぜ。

椎名この叔母さんの話はいま書いている。

目黒叔父さんが寝たきり状態だったので、叔母さんが子供相手の駄菓子やをやっていて、遊びにいくと自由に買えるので嬉しかったと。こんな子供時代があったなんて、なんでいままで書いてこなかったの?

椎名書く機会がなかったなあ。

目黒それではいま書いているという小説を期待しましょう。あとは、そうだ、これ、知らなかった。

椎名なに?

目黒沈下橋。コンクリートで作られた欄干のない橋のことで、台風のときに水面下に沈むので崩壊しない。こういう橋が日本の河川には四百箇所以上ある。欄干があると上流から流れてくる木がぶつかって橋が崩壊するけど、水面下に沈むから壊れないというのはアイディアだよね。

椎名ほとんどが、高知、徳島。あとは九州の大分、宮崎に集中している。

目黒どうして?

椎名上流に林業に盛んな土地があって、なおかつ急流だからだろうな。すべてを沈下橋というわけではなくて、吉野川の場合は潜水橋という。沈下橋というのは四万十川だね。この川には沈下橋が六十以上ある。

目黒あのさ、林業に盛んなところが上流にあって、なおかつ急流という川は日本だけではなくて、世界中にあると思うんだけど、沈下橋は日本だけのものなの?

椎名日本が世界に誇れる賢く頑丈な橋梁技術のひとつだと思う。

目黒そうそう。これも知らなかった。新宿のおでんや「五十鈴」の話が出てくるんだけど、その斜め向かいにあった飲み屋「日本晴れ」に椎名が行ったことがあったとは知らなかった。「五十鈴」は結構有名なおでんやで、ファンも多かったけど、そうだ、村松友視さんが数年前に「五十鈴」のことをオール読物に書いてたよね。

椎名そうか。

目黒しみじみとして、なかなかいい小説だった。でも「日本晴れ」はちょっと客層が違うというか。

椎名競馬おやじとかな。

目黒そうそう。だってこっちは立ち飲みだからね。しかもこの店では会話している客が一人もいない。みんな一人客で黙々と呑んでいる。

椎名沢野に連れられて行ったんだよ。

目黒あ、いかにも沢野が好きそうな店だなあ。あいつ、観察するのが好きだから。おれは当時の学生たちを連れてよく行ったんだ。とにかく安いから。吉田伸子とか窪木淳子とか、当時の女子大生が平気で入っていって、ガハハハと笑って呑むから、競馬おやじたちがみんな驚いていた(笑)。

 

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