『ぼくがいま、死について思うこと』
目黒次は『ぼくがいま、死について思うこと』です。「波」の2011年9月号〜2012年9月号に連載して、2013年4月に新潮社から本になって、2016年1月に新潮文庫と。まず、「自著を語る」から次のくだりを引いておきます。
小さい頃から幾度も体験している日本の葬儀と、世界の様々な葬儀の極端な差は、なぜ起きるのだろうかというようなことまで思いが走ったとき、ぼくの目の前には今まで手にしていなかったたくさんの人間の死とその周辺のしきたりに関する本の山があった。それらを集中して読んでいく。するとそれまでの人生のあちらこちらで見知った葬儀なり埋葬なりの意味が、もう少し深いところから見直せるようになっていった。この本を書くのは、ぼくにとってはそのことが大きな収穫だった。
あのさ、椎名は自分の葬式について具体的に考えている?
椎名そろそろ考えないといけないよなあ。
目黒おれたちももう年だから、葬式のビジョンをもっておいたほうがいいと思う。
椎名アメリカの葬式は故人と親しい人だけが集まって、故人の思い出を静かに語って、最後に賛美歌を歌って1時間くらいで終わり。すごく簡素でいいなあと思う。
目黒島田裕巳『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)には各国の葬儀費用が書かれていて、それによるとアメリカ四十四万、イギリス十二万、ドイツ二十万、韓国三十七万、日本二百三十万と、日本が飛び抜けて高いね。
椎名お前、葬式について考えているの?
目黒こないだ、同世代の友人とその話になったんだよ。結論は家族葬がいいなと。
椎名家族葬って?
目黒親戚などの親しい人だけを呼ぶの。でも問題は、たとえ家族葬でも、セレモニーホールなどを借りてやると結構な費用になること。
椎名ある程度の費用は仕方ないか。おれも、家族葬がいいな。
目黒この本は椎名でなければ書けない内容で、とても興味深かった。抽象的な死生観を語る本かと思うと、とんでもない。世界中で見てきた各国の葬儀の話が中心になっている。葬儀のかたちに、その国の人々の死生観があるんだね。
椎名鳥葬、水葬、樹葬とさまざまな葬儀の形態がある。
目黒それを分類しているのも興味深い。たとえば、チベットの鳥葬は、遺体を切り開き、内臓を取り出し、固い大腿骨や頭蓋骨はハンマーで砕かれ、「骨はツァンパと呼ばれる、チンコー麦(裸青麦)の粉で作られたチベットの主食にバター茶をまぜたツァンパ団子にくるんだりして食べやすくしてやる」。つまり人間の体を空腹の鳥に食べさせてやる「ほどこしの思想」なんだね。だから「天葬」ではない。チベットの鳥葬に遺族は立ち会わない、というのはどうして?
椎名その姿を見るのは残酷だから、という理由じゃないかなあ。そうだ、ゾロアスター教の鳥葬はまた違うんだぞ。こちらは死体は汚れたもの、という考えだ。
目黒チベットの鳥葬とは意味が違う?
椎名汚れたものだから、土に埋めたら土が汚れるだろ。火葬にしたら火が汚れる。だから鳥に食べさせる。
目黒鳥はいいの?
椎名鳥は汚れているから、という考えだな。
目黒じゃあね、ミャンマーに「死者は捨てる」という感覚があるのは、ただの物体となった遺体よりも、そこから解放された魂の昇天が大切との考えがあるからだ、って書いているんだけど、この考えはチベットに近い?
椎名そうだな。チベットにもミャンマーにも墓がないのは、遺体はただの物体にすぎないからだね。北極圏にも墓はない。
目黒どうして?
椎名永久凍土だから掘れない。埋めても腐らない。
目黒なるほど。それはそうだね。そうだ、あとはこれが興味深かった。
椎名なに?
目黒アメリカ人が日本で死んだ場合、土葬の国アメリカには遺体のまま返さなければならないってこと。
椎名キリスト教は復活を信じているから、遺体を焼いてしまったら復活が出来なくなる。
目黒アメリカが火葬じゃなくて土葬であるのは、そのためか。
椎名だから日本で火葬にして骨だけを送れば簡単だけど、そういうわけにはいかない。
目黒日本で死ぬ外国人は年間6000人以上いるから、1日に20体以上の遺体が海外に搬送されているなんて知らなかった。
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