『三匹のかいじゅう』

目黒次は『三匹のかいじゅう』です。すばるの2011年4月号、6月号〜2012年6月号に連載して、2013年1月に集英社から本になったものですが、これは単行本が出たときに池袋ジュンク堂で公開インタビューをしています。でもあれから数年たっているので、また読み返しました。改めて聞いていきます。ええと、なんといっても、あのシーンがいいなあ。何度読んでも笑っちゃう。

椎名なんだよ(笑)。

目黒兄たちと叔父が作った長椅子に座った三人が、食事の途中にゆっくり静かに同じ角度で斜めに沈んでいった(笑)、というんだよ。この光景が目に浮かんでくる。「ゆっくり静かに同じ角度で斜めに沈んで」いくんだぜ。

椎名地球が傾いたのかと思ったよ(笑)。

目黒素人の作った長椅子だから、荷重に耐えられなかったんだろうね。傑作な光景だけど、ただ面白いというだけじゃなくて、これは大勢で食卓を囲んでいたころの話なんだよね。こういうふうに大勢で食卓を囲む期間というのは実に短い、と話が繋がっていくんだ。だからこの傑作な光景の背後に、家族の団欒は意外と短いという切ない真実が潜んでいる。それが素晴らしい。父親がなくなり、兄が家を出て、十九歳で自分も家を出たから、9人家族全員で食卓を囲んでいたのは4〜5年しかないと。

椎名ホントに短いんだ。

目黒結婚して子供が生まれても、やがてみんな家を出ていくから、団欒は十五年ほどしかないっていうのも、とてもよくわかる。

椎名お前のところもそうだろ?

目黒そうだなあ。でね、この『三匹のかいじゅう』がすごくいいのは、その団欒が帰ってきた! という心の弾みがここにあるわけ。これがいいよね。

椎名お前のところは孫はいるの?

目黒いないんだ。

椎名そうか。

目黒この小説を読んで、おやっと思ったことを聞いていい?

椎名いいよ。

目黒この小説の中に次のような記述があるんだ。

学生時代に友人と東京の下町で下宿していたのも、なにかいつも友達と賑やかに過ごしたかったからで、そういう「作戦」をたてるのはいつもわたし自身だった。たぶんその時代もわたしはゆるやかな「鬱」のなかにいたのだろうと思う。

これには驚いた。あれは「鬱」だったの?

椎名あとで気がついたという話だよ。そのときは気がつかなかったけど。おれが「鬱」で、木村が「躁」だった。

目黒遙か遠い昔、おれがストアーズ社に勤めていたころ、月に一度、会社に泊まって徹夜で入稿作業してたんだけど、朝から夕方まで普通に仕事していれば、泊まる必要はないんだよね。他の編集部はそんなことしてないし、泊まり込むのは椎名の編集部だけ。どうしてこんなことをするんだろうと不思議だったけど、あれも同じことなの?

椎名そうだな。

目黒じゃあ、最近はやってないのかな、数年前なのかな、暮れになるとみんなを家に呼んで合宿してたことがあったよね。椎名が今日は何人泊まるのかと数えて、彼らの食べるものを作って、そういうことをしてたことがあったよね。あれも「鬱」だったから?

椎名たぶん、同じことだと思う。軽い「鬱」だよな。

目黒それが「鬱」だといつ気がついたの?

椎名年を取るといろいろ考えるだろ。そうすると思い当たるんだ。

目黒なにかきっかけがあるでしょ?

椎名『ぼくがいま死について思うこと』を書いたときかな。

目黒やっぱりきっかけはあるんだよ。あとは、やっぱり公園で会った老人の台詞がいいよね。「孫というのは神サマみたいなものですよねえ」という台詞。これは椎名の創作?それとも実際の経験?

椎名公園で会った老人がそう言ったんだよ。

目黒それとこれも何度読んでもいいなあ。三人が「じいじいいますかあ」と遊びにくる場面。三人がインターフォンを覗き込むんだけど、いちばんちっちゃい子は頭のてっぺんしか見えないの。

椎名いまは大きくなったから、顔が見えるよ。

目黒いちばん下の子は何歳なの?

椎名小学一年だ。

目黒人んちの子は早く育つって本当だね。

旅する文学館 ホームへ