『チベットのラッパ犬』

目黒ええと、次は『チベットのラッパ犬』。文学界の2007年1月号〜2008年7月号と、2008年9月号〜11月号に連載し、2010年8月に文藝春秋から本になって、2013年2月に文春文庫と。これ、先に言うけど、タイトルがよくないと思う。

椎名そうかあ。

目黒だっておれ、この本を書店で見たときのことを覚えているんだけど、これ、SF小説だとは思わなかった。エッセイにしてはヘンなタイトルだから(笑)、小説かなあとは思うんだけど、椎名がときどき書く、おどろおどろしいやつかと思った。おれ、あの路線、あんまり好きじゃないから(笑)。でもさ、読んだらびっくりだよ。いいんだよこれが。『武装島田倉庫』と『アドバード』を足したみたいな小説だぜ。

椎名おお。

目黒主人公が「おれも実はまるっきり人間というわけではなくて体の七割は機械や人工筋肉や人工内臓でできているのだ」とかさ、戦争のためにつくられた動物兵器の水竜とかも出てきて、次々とヘンなものが出てくるのは『武装島田倉庫』だし、コンドルに乗って飛び立つところなんかは『アドバード』だし、かなりいいよ。『武装島田倉庫』『アドバード』『水域』のSF三部作以降、椎名のSFはあまりいいものがなかったけど(笑)、これ、久々にいいよ。まだ椎名にもこれだけのSFを書く情熱が残っていたんだと嬉しかったね。

椎名そこまで褒められるとは思わなかった。

目黒これも「北政府もの」なんだよね。

椎名そうだな。

目黒「北政府の傭兵として前線にいた頃」なんて記述が出て来ると、北政府もののファンは、おっ、と思うよね。そしてなによりもいいのは、物語の半分くらいのところで主人公が犬になるでしょ?

椎名うん。

目黒このあとが俄然面白くなる。犬になった途端に風景が一変するんだ。

椎名嗅覚が鋭くなる。

目黒そうそう。それがいいね。あらゆる匂いが主人公を襲ってきて、人間なんて近づいてくるとその悪臭で気がついちゃう。こういうディテールもいいんだ。そうか、これ、ストーリーを少し紹介したほうがいいか。

椎名ようするに主人公はラッパ犬をおいかけている。

目黒人工眼球を作るために必要な胚を求めて、ラッパ犬を追いかけているんだよね。これ以上詳しく紹介するとネタばれになりかねないから、これくらいにしておくけど、もしも主人公が犬に変身せず、ずっとラッパ犬を追いかけていたら、設定はすごくよくても、ちょっと単調だったかもしれない。でも途中で犬に変身して、なんていうの、ギアを一段上げたっていうのかね、俄然緊迫感が増してくるんだよ。

椎名読みたくなるなあ(笑)。

目黒奥歯をぎゅっと噛みしめると、ぎゅいーんと変形したりするのもカッコいい。こういう細部もいいんだよ。巨大なコンドルに乗って飛び立つラストも情感たっぷりだし。

椎名そうか、タイトルに問題があるとは思わなかったなあ。

目黒だって『武装島田倉庫』『アドバード』『水域』だぜ。みんな、風格があるだろ。それに比べて、『チベットのラッパ犬』だよ(笑)。風格ないよ。どうしてこのタイトルを思いついたの?

椎名チベットには犬がたくさんいるんだよ。で、ラッパをくわえたみたいな犬がいて、それが妙に意識に残ってたんだな。

目黒もうおれには昔みたいなSFは書けないって椎名がよく言うから、SFを書く気持ちがないのかなと思ってた。でもこれを書いたのは2007年だよ。まだ10年経ってないぜ。まだまだ書けるよ。

椎名これ、増刷しなかったんじゃないかなあ。

目黒出版社が出してくれるうちは書きなさいよ。そんなに売れるものじゃないかもしれないけど、熱狂的な読者はいると思う。それを信じて、つまり読者を信じて、自分の力を信じて、書くべきだよ。

椎名そうかあ。

目黒もう一つだけ指摘すれば。

椎名なんだよ、まだあるのかよ。

目黒旅の目的は書かれているんだけど、つまり人工眼球を作るために必要な胚を求めるのが目的だよね、でもそれがどれほど切実なのかがわからない。

椎名切実って?

目黒つまり、この目的を達成すればどんなこと(もの)を獲得するのか、失敗したら主人公はどんな痛手を負うのか、それが描かれていないんだよ。物語の奥にそれをきっちり描いていれば、サスペンスももっと高まるし、奥行きも深まったと思う。タイトルとそれ、二点だけだね問題は。あとは素晴らしい。

 

旅する文学館 ホームへ